写真は自己嫌悪の塊である
みなさん写真とか動画とか撮りますよね、そりゃ人生生きてりゃ撮ります。
で、できあがった写真とか見るじゃないですか。自分が写ってるなら見るし見せられる。当然のながれ。自然の摂理。
で、個人的にあるあるなんですけど
写ってる自分の見た目に絶望しません?
え? なにこの表情どうした? 目開いてないぞどうしたどうした? おっと?
おかしい。まじで見るに耐えない。
萎えるどころじゃない。愕然とする。
おいおい待て待て、なんだこのビジュアルは、おいおい。
燃やして捨てたくなる〜
あまりにメンタルえぐられるので
とりあえず撮った人のせいにしてみる。
光の当たり具合のせいにしてみる。
それでも自己嫌悪はとまらない。
“自己嫌悪”は高速道路の比じゃないくらい猛スピードで疾走してる。
止まりたまえ…鎮まりたまえ…
身近な人に相談(ほぼ嘆き)して
「見せてみ」と言われるので渋々見せる。
そうすると「悪くないじゃん」と言われる(優しさの権化)
「自分で見てるから悪く見えるだけだよ」と。
それでちょっと自分を納得させる。そーだそのとおりだ。うんうん。
(まわりから普段の私がこう見えてるだけでは? という自己嫌悪のささやきは脳内から叩き出しておく)
写真だけじゃなくて、声の録音でも同じ現象起こりがち。
私の場合、声は結構慣れたから
写真も慣れるかな〜
人間、慣れが肝心とはよく言ったものだよね。
*-ω-)ノ"
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。